ロリータ・コンプレックス

現代のように外敵から守られた社会環境の中で成人する女性は、本来持っている受身の性よりも自己(自我)意識を強く外に出すようになるので、女性を支配しようとする男性が出す念に反発するようになり、ノーマルな性関係がおきにくくなります。成熟して閉塞した社会状況は心の中に意識拡大が生まれにくくなるので、幼児期に心が抑圧されて育てられた、ロリータコンプレックスといわれる幼児性愛者の性質を持っている人と同じように、念の同化のおきやすい幼女少女をセックスの対象にすることがあります。

一般の立場でみる性は、仮に60歳の男性が、12歳の少女の肉体に暴行したのであれば、どのような立場でも許されるものではありません。しかし、人間の中にある神聖な意識が欲望を超えて行動するとき、一概に否定されるべきではない事もあります。置かれている立場や条件で正義にもなり悪にもなりえる可能性もあります。
世界的な核戦争で60歳の男性と12歳の少女二人だけが生き残ることがあれば、自然が人間に与えた自分の遺伝子を残そうとする本能的な行為は、人間が生きるという行為と同じものだからです。種の保存という意識から行動されたもであれば、その行為を肯定する人はいると思いますし、長い間離れ小島に二人が取り残される場合など、自己を意識するために相手と深い念の同化がおきて、大人と子供の意識を超えて性的な感情が強くなるのは自然に反するものではありません。

肉体の年齢に関係なく、感情「性」の部分は歳を取らない性質を理解できなければ、それらの行為を受け入れるのは難しいと思います。誤解を招くことを承知で言わせてもらえるのであれば、70歳の男性が1歳の幼女を見て可愛いと思う感情の中にも、性的な情を含みますし、性的な描写や映像、性を意識させる言葉で得られる創造性は、意識を拡大活性化させ、生きる力を強める肯定されるべき面があります。

男親が我子幼女少女に向ける可愛いという愛情の思いの中にも成人の異性に向ける情念と同じものが含まれています。
芦屋雁助さんの・娘よ・という歌の歌詞の中に「嫁に行く日が来なければ良いと、男親なら誰でも思う」という嘆きに似た詩があります。

父親は娘の念体の中に存在する妻、つまり、母親の念と同化した霊体の中にいる母と同じ情念を感じるので、大勢の男性の心理に共通してヒットしたのではないでしょうか。男性が娘に持つ特殊な情念は、我が子に対する特別なものとしては理解されていますが、理由の本質はほとんど理解されていません。

子供は家庭の中で両親の言葉・態度・行動を見聞きしながら躾けられてゆきますが、父親と母親の間に交わされる、性的な情念の影響も多分に性格の中に受入れているのです。男子は、父親が母親の肉体意外の念「心」を支配しようとする性質を、同じ男性という共通する意識で、念の中に同化させて男性の性状を父親から学んで行きます。女子は母親が父親から向けられる情念を、女性という共通する意識の中から無意識に母親の性状を念質の中に記憶してゆきます。

その結果男子は、父親に似たような念質を持つようになるので、母親に対する関係は、父との間に嫉妬心と同姓としての対立が無意識の中に生まれます。
男子は青年期になり生殖機能が活性化すると、母親と似たような念質を持つ女性に魅力を感じるような傾向が出てきます。
女子は母親と同じ情念を共有するため、父に対して男性が意識され、母親に対して嫉妬心が生まれます。結果として無意識に父親と似たような念質を持つ男子に引かれるようになります。
性的情動は具体的に性教育がされなくても、両親から向けられる無意識の中にある性状を感じ取り行動するようになります。深い信頼関係で結ばれた両親に育てられた子供は、社会生活の中で無意識に他人を受け入れ、周囲の人から受け入れられるような人間関係をつくります。もし、両親の関係が対立していたり、性的な情動が欠落している環境に育てられると、成人してから壊れるような恋愛をしたり、異性を受け入れにくい心の性質になることがあります。両親の欠落した情念を受けて成人する女性は、男子に好意の念「性的情の念」を向けられると、深層意識の中で男子に対する印象は好みに合わないような、不快な感情に置き換えられてしまいます。それらの感情は、母親が父親に対して持っていた性的行為に対する嫌悪感の印象が、女子の念の深層に記憶されるため、男性に対する錯誤行為を引き起こすのです。心の中で湧き起こる異性に対する不快な感情は、生まれてから成人するまでの体験の中でつくられた記憶のように感じられます。

父親の念と深く同化した母親の念は、少女の念の深層の中にも印象として記憶され、運命といわれるような常識では理解できない不規則な行動として現れることがあり、生きる価値観、将来の生き方の方向性にも影響をあたえます。

ロリータ・コンプレクスと言われるような人達は、成人した女性ではなくなぜ少女を性的な対象にするのか?

子供は一定の幼年期少年期は両親の霊体「生霊」に守られて、心の性質が受身だけに働き自発的に思いを外に向かってだすことの少ない時期があります。男性の持っている攻撃的な性的情動を受け入れやすい心のあり方がロリータコンプレックスと言われるような心理を男性の中に生み出します。

意識拡大のおきにくい完成された社会は、男性の持っている外部に対する攻撃性が、心の内側に向けられると、同性の中に受身の異性が錯覚されて同性愛を生み出すこともありますが、自慰行為の延長線上にあるもので、自然「神仏」が与えた心の満たされるエクスタシーの感情を得られものではありません。

広い角度から性を見ると人間が行動する「スポーツ・ショッピング・すべての娯楽」中で得られる喜びの感情は、性的な情念の変形されたものと言っても過言ではありません。たとえば、若い男性が、分不相応の高い車を買って乗る行為に、車が好きだからいいじゃん、という答えを出し、若い女性はブランド物のファッションを身につけて、良いものは良いの品質が違うのよ、というような答えが返ってきます。これらの心理は異性を引き付けて自分の遺伝子を優位に残す条件をつくろうとする性的な行為に他ならないのです。

もし、何らかの都合で性的な情動が抑圧されたり、心の中に性的な情動が起きにくい条件、環境があると自虐的な行動をとったり、破壊的な行動をとることがあります。

記載の内容は心の働き「性」につて伝えたいことの10分の1くらいのもので、人間の心は深い瞑想体験の中で理解するができます。
記載されている内容を左脳の道徳・学問・科学の世界で理解すると、大きな誤解を招く恐れがああります。読んで理解できる範囲は30%くらいとお断りしておきます。

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