臨死体験


欧米人の臨死体験は、意思をもった光との出会の報告例が多くありますが、日本人の臨死体験は意思を持った光りに出会う報告例が少ないのは文化の違いや民族性が関係しています。脳内で作り出される幻覚幻影を観ているにすぎないという人もいますが真実ではありません。
臨死体験を正しく誤解のないように文章で説明するには無理もありますが、記載の内容は、臨死体験についての一部分です。

 臨死体験に近い現象は、普段生活しているときに起きることもあります。複数の人から強い思念を向けられ、他の思考意識に支配されて自身の思考が失われたときに起きることがあります。これらの体験をするとき、肉体は行動しているので正常に見えるのですが、意識感覚と肉体感覚が一致していないため問題行動をとることがあります。死者が肉体から離れるとき、肉体感覚意識が薄れる念を捉え臨死体験に似た症状を体験する事もあります。

 臨死体験が起きるのは肉体より意識感覚が優位に働くとき、自身の意識の中に現れる創造の光を観ているように錯覚されることがあります。臨死体験は他人への祈りではなく自己救済を祈る小乗仏教的な考えかたをする人(一時的な行為を含め)に起こりやすく、集団より個人の意思を尊重する宗教文化を持っている人達に起こりやすいのかもしれません。自己と絶対神の相対関係で祈る習慣を持つと遭遇しやすいのです。

 日本人のように、集団の中で協調・調和を重んじる大乗仏教的な考え方は、他人とコミュニケーションをとるとき相手の念(霊体・意思・意識)と自己念の相対関係を作りますが、肉体感覚意識より念感覚が優位に働くような環境におかれると、絶対的存在である神仏との出遭いよりも、死の世界にいる人の念体と融合しやすいのです。念体(霊体)が優位に働く状況や、あるいは念体が肉体から離れ、死が訪れようとするときに臨死を体験するのですが、日本のように死後世界を肯定する仏教的思想の臨死体験では、死んだ人のいる意識層をとらえ、死の世界にいる人に出遭った、死者が迎えに来きたというような体験をする傾向があります。臨死体験で綺麗な花畑を観る報告は、花の色の色彩が臨死体験のときの光に相当するものです。それらの現象は意思を持った光の存在と同じものです。一般的に肉体を維持する自我意識の感覚が薄れると現れるのですが、自我の感覚意識が働いているときに現れることもあるので、一概に高い意識レベルで捉えているとはいえません。憎しみなどの強い意識を向けられ忘我状態でも起こる可能性があります。 臨死体験者が、花園を歩く体験や原色の綺麗な色を観るのは、念(霊)世界に存在する思念が色彩として意識されものです。その意識感覚から現世に発明想像の形がでてきます。

瞑想や臨死体験をしたときに天子や死者が出てきて、過去未来の出来事を教えらて発明のヒントになった、などといわれる現象も、高い念(霊)世界から必要な情報を取り出しているのです。人の霊体を観る、光の色彩を観る、白色の光の世界に出遭う、黄金色の世界に出遭うなどの体験は、肉体を維持しようとする自我意識を超えて、宇宙世界を創造する根源的な性質と同化する段階によって体験が違います。

 臨死体験で意思を持った光との出遭いが、幻覚ではないことを証明するような体験例はあります。幼児期にまったく視力が失われた人に加持をすると、意思を持った光と遭遇(霊視)するからです。盲目の体験者の中には、眼が見えるようになったのではないかと錯覚する人さえいます。眼が見える人、盲目の人に繰り返し加持を行い、何度も意思を持った光に遭遇すると、物質以外の神霊の世界、肉体感覚以外の死後世界の存在を確信するようになります。

 物質や肉体感覚に執着心の少ない人や、心の世界に思いを向ける宗教心の強い人は、臨死体験をすることが多く、物理的な執着心の強い人は、体験することが少ないかもしれません。死に際に執着心や苦痛の念を持っていると、死後、残された人達に好ましくない影響を与えることもありますが、高い霊体を持っている人が、死に際の人に念を向け、供養をすると、臨死体験のときに遭遇する、意思を持った光と出遭います。供養を受ける人が高い霊体と同化すると、肉体に執着する思いから開放され霊体と分離しやすなります。

 葬式は死後に肉体、物質、愛欲に執着する念(霊)の活動を停止させようとして考えられたものなのですが、死に際の肉体から霊体が離れようとするとき、現世に物質的執着があったり、恨み憎しみの念(生霊)を向けられている、肉体が苦痛の中にある人の霊体は、葬式で供養し、強い霊体の残留思念を停止させるのは難しいと思います。死後の世界は、生前の残留エネルギーだけを霊の世界と思っている人もいますが、死後の霊体は活動し、生きている人の思考に同化して影響をあたえているのです。 

死後の初7日 49日 100か日供養は霊体の好ましくない活動を止めようとして考えられたものです。年忌供養を含め、これらの供養を何度も繰り返し行うのは、活動する霊体の性質から考えられたものなのです。苦しみを持っている念体(霊体)を供養するには、死者の意識感覚を捉え、高い念の波動で浄化供養することが必要です。