心と個性

現代社会は情報を制する人が、世界を制するとも言われ、情報戦争という言葉も生まれました。日本のように資源のない国では、情報による敏速な対応によるコストの削減は避けて通ることは出来ません。

 人間は基本的に二つの性質をあわせ持っています。脳に記憶として情報をストックする性質は、脳にインプットされた情報や完成された情報の思考の中で、繰り返し処理されるので、発想される物もマニュアルに従った創造になり、未知の発想は生まれにくいことになります。もう一方の固定した性質に相対する、念の性質は、なにものにも束縛される事がなく、数千キロメートルメートルの【無限大】距離を瞬時に移動して、遠くにある未知の情報を得ようとしますが、蓄積された情報との違いは、情報として得られる結果は、どのような方向へ向かい、どのような展開に発展して行くのか、固定した情報では得ることの出来ない未知の結論さえ含んでいる事があります。特徴的なのは、蓄積されたデータの結論とは、正反対の結果として出てくることがあります。

 念の持っている性質は、宇宙にある未知の物質や、未知の性質を解明しする時に大切な役割を果たします。肉体と念のバランスのとれている人は、インスピレーションが働き基礎研究や、発想力を生かして事業で成功している人もいます。

 文明が発展し、集団で生活するようになると、脳にストックされた情報の思考と、外から入る完成された情報が相対関係になると、一個の人間として持っている独立した個性や、創造性が生まれにくいことになります。無機物のコンクリートで出来たビルや、似た形の家、大量生産された物があふれている環境は、感情の起伏が失われ、宇宙を含め自然の中の、未知の性質との関わりが少なくなります。子供達に個性がなく画一化した発想するようになったと言われる原因の一つに、情報としての学力偏重が原因の一つかもしれません。現代社会は、左脳にストックされたデータと、外部から入る、物質化した情報が相対した関係をもつ職場が増えているので、本来人間が持っている未知の情報を得ようとする、念の広がりを必要としなくなってきています。ストックされた思考と、外部の物質的情報の相対関係は情報として完成された情報の中で、創造性を得ようとするので、念が過度に脳を刺激し、自律神経のように意識して動かすことの出来ない部分を刺激するので、現代病の欝性のストレスがおきる原因にもなっています。

 文明機器に囲まれた集団化した社会が左脳の社会とすれば、右脳の働きを活性化する場所は、自然の山や川・海なのかも知れません。人は昔、自然に合わせて生きてきました。人の身体も自然に合わせて創られています。人間の心の構造は、自然と一体になる環境が、生きることに必要な条件なのかもしれません。山や川、海の自然の環境のなかでは、情報として得たデータを必要する事が少ないので、考える時間が短く、周囲に気を配る行為は無心をつくり、時間のたつのが早く感じる【思考は脳に苦痛を与えるので時間を長く感じる】体験をしている人は多いと思います。自然の中にある音の揺らぎ・光の揺らぎは、念の意識感覚に刺激をあたえます。そのような自然の中にある行為は、無限の広がりを持つ念の働きが活性化され、心と身体のバランスが取れるようになり、人が本来持っている創造性や、独自の個性が生まれやすいのです。また、神経性の病的症状も治癒されることがあります。

 砂漠地帯に住む人たちは、記載の範囲ではありませんが、西欧や中東の砂漠地帯も過去には、肥沃な緑地帯・森林もあったのですが、文明が発展し、集団社会ができ、人口が増大し、食料を得るために、物理的な合理性で自然が破壊されたのです。集団社会における、知識と外部情報の相対関係、完成された情報社会が及ぼした結果かもしれません。砂漠化の理由は食料を得るのに、水をあまり必要としない生活形態にもありますが、一つの原因にはなっていると思います。これからの日本の高度な情報化社会は、善悪一つの結論を求める傾向が強くなるでしょう。

 日本は、自然環境保護の必要性と先見性を持っている人もいますし、水を必要とする農業も緑に囲まれた環境を必要とします。自然の中に仏性を観る日本の仏教は、高度な情報化社会が完成しても、砂漠地帯でおきた、善悪一つの結論を求める一神教とは違う道を歩くでしょう。

 日本は高度な情報化を避けて通ることは出来ません。また、日本のように資源のない国は念の広がりを必要とする、基礎研究のような発想力・創意を資源とすることが求められるのではないでしょうか。情報化の左脳と、未知の情報を得るための右脳のバランスの取れた環境を作ることも必要なのかもしれません。宗教的な信仰心や瞑想の行為は、自然の中にいる時と同じような、念の広がりを作る働きが生まれます。